年収1000万超えのエリートサラリーマンから一転、部下によるパワハラで休職に至った50代男性Rさん

インタビュー

「自分はストレスに強い方だと思っていて、まさか休職することになるとは想像もしていませんでした。不調による休職は誰にでもありうることなので、多くの人に正しい知識を持ってほしいです。」

そう語るのは、かつて大手金融機関に勤務していたTさん(50代・男性)。超大手企業での管理職の経験があるからか、物腰は柔らかいながらも、的確な発言でインタビューを進めてくれました。

大手金融機関勤務で、年収は20代で1000万以上。世間が羨むエリートが、なぜ休職することになったのかをご紹介します。

Rさんのプロフィール

年齢:50代
性別:男性
学歴:文系大学卒
居住地:東京
同居人:一人暮らし
現在のお仕事:ライターなどの在宅アルバイト
現在の年収:約200万円

インタビュー

これまでの人生を振り返って

誕生~学生時代

父は自営業で母は専業主婦、自分は長男で妹が二人います。特別お金持ちとかではなく、一般的な家庭だったのではないかと思います。

小学校から高校までずっと剣道を続けていて、他にも野球、サッカー、バスケなど、スポーツは色々とやってきました。運動は楽しくて好きでした。

高校は、偏差値64の県立高校に進学しました。特に自分を優秀だと思ったことはないですが、平均よりは勉強ができるな、という自覚はありました。変わらず勉強も運動も、程よくこなしました。

大学は一浪してMARCHの法学部に進学し、民法や商法を中心に勉強しました。法学部は、覚えることが多いイメージがありますよね。テストの時期などは、結構勉強が勉強が大変だったと思います。

新卒での就活は、30歳で年収が1000万を超える会社への就職を希望して行動していました。多少仕事がハードでも、給与が高い会社に入ってお金を稼ぎたいと思いました。

これまで運動を続けてきて、体力には多少の自信もありました。

内定をもらった企業の中から、給与が高くて、かつ法学部と親和性の高い仕事内容ができる大手金融機関を選んで入社しました。

会社員時代

入社後は仕事に打ち込み、自分で言うのもなんですがそこそこ優秀でした。

例えば紙媒体の電子化や、業務データの自動処理といったプロジェクトの運営を任され、DX化の先駆者として、システムやアプリケーション開発の要件を定義していました。

仕事の成果は社内からも評価され、目標であった年収1000万は20代のうちに達成しました。まさに順風満帆でした。

昇進も順調で、平均よりも若い38歳で課長職となりました。

しかしこれが、今後の人生を大きく変える昇進だったのです。

休職について

休職の理由

若くして出世したということは、年上の部下を指導する必要があります。

「自分の方が社歴は長いし年齢も上なのに、どうして年下上司の言うことをきかなきゃいけないのか」と反感を持つ人も当然出てくるわけです。

そういった部下からのパワハラと、仕事の忙しさが重なってメンタルが壊れた、というのが結論です。

課長に昇進したといっても、管理職としては1年目の新米です。課員は6人いましたが、そのうち3人が自分よりも年上で、マネジメントの方法に悩みました。

また、配属されたのが自分にとってなじみのない業務を担当する部署だったので、最初はわからないことばかりでした。お局さんのような、自分よりも業務に詳しい人がいて色々と教えてもらいましたが、「課長なのにこんなこともわからないの?」みたいな空気感も多少あったと思います。

皆、「配属されたばかりで、仕事もあまりわかっていない若めの課長」のことが気になりながらも、最初は私に対するハラスメントはありませんでした。私も戸惑うことが多いながらも、うまく課をマネジメントしていこうと奮闘しました。

年上部下3人のうちの1人(Aさん)が、業務上のミスが多く、問題のある人でした。そのせいで他の課員が迷惑を被っており、Aさんに対していじめのような言動をすることもありました。

Aさんを何とかしようとしましたが中々うまくいかず、「どうして課長はAさんに何もしてくれないんだろう」と、課員の不満の矛先がAさんから私に切り替わりました。こうして、部下からのハラスメントが始まりました。

年上部下の一人に、学歴が私よりも高く、部署での業務歴も長くプライドのあるBさんがいて、ハラスメントはその人を中心に行われました。

主な内容は、会議での問題発言業務の妨害でした。

課会で暴言に近いような過激な発言をして進行を妨げ、周囲も発言に呑まれて空気が悪くなる、という日々の繰り返しでした。あまりにも困ったので、部長に相談して会議に同席してもらうと問題発言は止まりましたが、また部長が不在になると問題発言が始まり、解決しませんでした。

課がそんな空気だと皆カリカリするようになって、Bさん以外の課員も便乗して過激な発言をするようになり、収集がつかなくなりました。

業務連絡をすると逆切れされ、しっかりしたコミュニケーションがとれず、そのせいでさらに雰囲気が悪くなり、連携が取れず仕事も進まず、と負のスパイラルに入ってしまいました。個別面談の時間を設けて打ちとけようともしましたが、もはや話し合いにすら向き合ってもらえませんでした。

そうしているうちに繁忙期に突入し、仕事の過酷さに拍車がかかりました。管理職は仕事に対する責任も重く、深夜まで残業する日々が続きました。

仕事の疲れや睡眠不足が重なると、これまで気にしないようにしてきた部内の空気の悪さや問題発言がやたらと目につき、気が滅入るようになってきました。精神的負荷と身体的負荷のダブルパンチは恐ろしく、以前よりも辛さが増してきました。

それから忙しさが落ち着いたり、新しく人員が補充されたりと環境は変わりましたが、ハラスメント行為はなくならず、ある日ついに、限界を迎えて会社に行けなくなりました。

出勤のため電車に乗ったとたんに気分が悪くなり冷汗が止まらず、次の駅で降りて休みました。「これはさすがに休まないと」と感じて、会社に欠勤の連絡をしてから、いわゆるメンタルクリニックに電話し初診の予約をとりました。

メンタルクリニックの受診までは数週間の期間がありましたが、それまでは何とか出勤しました。

初診でうつ病と統合失調症の診断を受け、翌日に休職届を提出しました。それから数日間は出勤して、課員への報告と最低限の引継ぎを済ませて休職に入りました。引継ぎ期間中も気が気ではなく、早く休むことだけが頭にありました。

心身ともに正常ではなく、とても仕事ができる体調ではないのでやむを得ず休みました。これが一度目の休職です。

こうして休職に入ってから、色々と考えることもありました。

思えばBさんは、「問題社員」として管理職や人事部に認知されていたため昇進ができず、自分よりも年下で学歴も低い私が昇進したことに対して、フラストレーションを抱えていたのかもしれません。

私の管理職としての経験が浅く、うまくマネジメントができなかったという反省もありますが、Bさんは自分の言動が周囲にどんな影響を与えるか、もっとよく考えてほしかったです。

休職期間

私は休職と復職を複数回繰り返しました。

1回目は27ヶ月(2年3ヶ月)休職してから、復職して14ヶ月(1年2ヶ月)勤務

2回目は27ヶ月(2年3ヶ月)休職してから、復職して21ヶ月(1年9ヶ月)勤務

3回目は27ヶ月(2年3ヶ月)休職して休職期間満了となり、そのまま退職しました。

いずれも27ヶ月で復職した理由は、会社が休職を認めてくれる上限まで休んだためです。本来は、復職できる状態ではなかったと思いますが、転職するくらいなら勤務先に戻りたかったので、無理に復帰してはまた休職することを繰り返しました。

休職後の変化

休職直後は、毎日毎日がしんどかったです。体調ガチャで、調子が悪い日は本当に何もできませんでした。

通勤時に感じた気持ち悪さや冷汗以外にも、慢性的に疲れを感じて、めまいや耳鳴りが続きました。

休職したからすぐに体調が良くなるなんてことはなく、時間をかけて休むことで、少しずつ回復していきました。

休職中の過ごし方

家に引きこもって漫画を読んだりゲームをする日々で、通院と実家に帰る以外は外出しない日々を1年ほど続けました。体調も悪いので、とにかく無理をしないことを心がけていました。

少し回復してきたら、健康のために散歩・ヨガ・瞑想をはじめました。散歩やヨガ程度でも、体を動かすことで気分が前向きになったので、ぜひ取り入れてみてほしいです。

そうすると徐々に外出できる範囲や時間が伸びていって、最終的には復職のために図書館で作業ができるまでになりました。

作業をしてみて、集中力はあまり下がっていなかったのですが、対人折衝が発生すると途端に消耗するな、という感覚はずっとありました。

復職してみて

休職期間が終了すると退職となってしまうので、体調は万全ではありませんでしたが、やむを得ず復職しました。

復職するにあたって、通勤の負荷を減らすため、会社までの通勤時間が30分以内の場所へ引っ越しをしました。

人事と復職面談をして、役職や仕事内容について話し合いました。その結果、責任の重い管理職からは降格して、なじみのある部署に配属されることになりました。

自分の経験が活かせる部署で、顔なじみの社員も多い部署だったのですが、業務内容は難しく激務であったため、復職後で心身が弱っている状態ではきつかったです。忙しいので強い言葉を使う人も多く、神経が擦り減るような感覚がありました。

そうしてまた、忙しさと厳しい環境に耐えられず、再度休職することとなりました。

2回目、3回目の休職と復職もこのようなかんじで、休職可能期間が満了になるから体調が回復してないが復職する→心身が弱っているので忙しさや空気感に耐えられず再度休職する、を繰り返しました。

今思えば、2回目の休職で会社を辞めておけばよかったと思うのですが、いい会社だと思っていたので勤め続けました。転職という選択肢はなく、そもそも会社勤めが難しいような状況でした。

働いた企業

  • 1社目:大手金融機関・年収1000万以上・正社員・20年以上
  • :ライターなどの在宅ワーク・年収200万・アルバイト

伝えたいメッセージ

休職未経験の人へ

慢性的な疲労、睡眠不足はとても危険です。ストレスを感じたら、うまく休息をとりましょう。

人間関係のストレスを甘く見てはいけません。特にHSP気質の方は注意して、セルフモニタリングをしてください。

休職中・休職経験のある人へ

体調に不安があるうちは復職せず、休職可能期間はめいっぱい使ってください。まさに自分が経験したので。

復職後は、仕事の負荷を最小限にとどめてください。産業医・人事・上司に相談しながら、テレワーク・時短勤務・有給休暇などの会社制度をフル活用しましょう。

会社で働くことだけが仕事ではないので、頑張るな、元に戻ろうとするな、楽に過ごすことだけを考えろ、ということを伝えたいです。

また、傷病手当金や障害年金給付など、受け取れるお金はしっかり受け取って、安心して休んでほしいです。人事も担当医も誰も教えてくれないので、自分で調べないと貰えませんでした。

あとは、日記をつけて瞑想をして、散歩程度でいいので外に出て体を動かしましょう。

近所でもじっくり散歩をしてみると、建物であったり植物であったり、これまで気づかなかった新しい発見があって面白いですよね。

そういった小さな感動を大事にしてほしいです。

社会へのメッセージ

休職は誰でもありうることなので、精神疾患について多くの人に正しい知識を持ってほしいです。自分がならなくても、家族や友人がなる可能性もあります。

また、日本の自殺率は高いのに、うつ病をはじめとするメンタル疾患は「本人の問題」として片づけられがちです。

社会が行政レベルで予防策を講じて、会社に対してもハラスメントや過重労働の禁止などをしっかり監督してほしいです。

復職の基本条件が、週5日のフルタイムなのも疑問に感じました。たとえ給料が下がっても、時短勤務や週4勤務、在宅ワークなどといった選択肢があれば、働ける人が増えるのではないかと思っています。

雇用形態や労働時間、労働場所など、多様な働き方を選べる社会になってほしいですね。

※記事中の画像はイメージです。Rさんとの関連はありません。

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