「大学院まで通わせてくれたのにフリーランスになって、親には申し訳ないれど、今は毎日とっても幸せです」
そう語るのは、グレーのパーカーに黒いスキニーを合わせたラフな格好のTさん(20代・男性)。手首にはアップルウォッチを付け、知的な雰囲気です。
「身バレしない範囲で、それでもなるべく詳しく情報提供ができればと思っています。同じ境遇の方がいたら、参考にしたり、反面教師にしてください。よろしくお願いします」
Tさんのプロフィール
年齢:20代
性別:男性
学歴:理系大学院卒
居住地:中部地方の田舎
同居人:彼女と猫
現在のお仕事:フリーランスのライター 兼 SNSアドバイザー
現在の年収:150万~350万で変動
インタビュー
これまでの人生を振り返って
誕生~学生時代
父は建設企業のサラリーマンで、母は翻訳のアルバイトをしている、平和な家庭の長男として生まれました。上に頭のいい姉がいて、よく比べられていました。僕はどちらかというと、学力よりも体力に自信がある方でした。
すごく元気な子だったらしく、体操教室とサッカー教室に通わせてもらいました。サッカーは小学校から高校まで続けましたが、これといった成績は残せませんでしたね。
高校は偏差値60くらいの普通科に進学しました。姉が県内トップレベルの学校に通っていたので、自分もそこそこの学校に行かなければと思って受験勉強はかなり頑張りました。が、高校では部活漬けで、全く勉強しませんでしたね。今となっては反省です。
将来やりたいことは特になかったので、高校で進路を決める時はとても迷いました。文系よりは理系の方が就職先が多いだろうと思って、模試の判定が良かった大学の理学部に進学しました。日東駒専と言われるレベルの学校で、ゼミで実験をするのが楽しかったです。
大学時代に飲食店のバイトをしましたが本当に忙しくて、働きたくないなという気持ちがありました。
それだけが理由ではないですが、もっと勉強しようと思い、大学卒業後は大学院に進学し研究を続けました。論文を公開したり、学会発表をしたり、結構頑張りました。
ついに就活の時期になると、またまたとても迷いました。
コミュニケーションに自信がないし、やりたいこともないし、できれば働きたくもないしどうしようかと、ひたすら適職診断テストを受けまくる日々でした。
最終的に3社から内定をもらって、一番給料の高かった中堅化学メーカーに就職することに決めました。
会社員時代
僕、サラリーマンが全く向いていなかったんです。
朝7時に起きて9時から働き、18時に仕事が終わって19時半に家に着く生活が、とても不自由に感じてしまいました。平日は大好きなゲームができなくて、一生この生活が続くと思うと、気が狂いそうなくらいのストレスでした。
会社は優しい人が多かったですが、僕が人とコミュニケーションをとるのがあまり上手くなくて、報連相が少なかったり、飲み会で話せなかったり、周りに気を遣わせてしまっているような気がして、それもストレスになっていました。
一番辛かったのは業務の内容で、配属された部署では製造設備の点検と管理を担当し、毎日同じ作業の繰り返しで、モチベーションが下がってしまいました。大学の同期は研究職として学んだ内容を活かしているのに、自分はどうして…と、憂鬱な気持ちが消えませんでした。
希望の転職
このままではマズイと思い、入社2年目で転職を決意しました。
転職サイトを使って求人を見つけては応募することを繰り返し、同業界の研究職に転職できることになりました。
ようやくやりたい仕事ができると入社したものの、そこはまた過酷な環境で、体調を崩して休職してしまいました。
休職したら体調は良くなりましたが、復職しようとすると悪化しました。結局は半年ほど休職して、復職できずに退職しました。2社目に在籍した期間は、1年未満です。
退職した直後はとても気持ちが軽く、社会の「常識」のようなものから解き放たれたような気持ちでした。
こうして短期離職を2回繰り返して、自分にはサラリーマンは無理だということに気づき、フリーランス(個人事業主)として生計を立てることに決めました。
趣味でブログを書いていたのと、SNSのフォロワーが数万人いたので、ライター兼SNS運用アドバイザーとして活動することにしました。
やったことは簡単で、ネットで調べて開業届を出し、クラウドソーシングサイトに登録するだけです。
最初の2カ月は全く仕事がありませんでしたが、3か月目に初の受注が決まると、雪だるま式に案件を獲得することができました。
現在、フリーランス3年目になりますが、ようやく生活が安定するようになりました。
収入が不安定なのでお金の心配がないわけではないですが、サラリーマン時代に感じていた憂鬱な気持ちは全くなく、好きなことで生活できる毎日がとても幸せです。
両親には本当に申し訳なく思っていますが、これから恩返しができるように、目の前の仕事に一生懸命取り組みたいです。
働いた企業
- 1社目:中堅化学メーカー・年収360万・正社員・2年未満
- 2社目:中堅化学メーカー・年収450万・正社員・1年未満
- 現 在:ライター兼SNSアドバイザー・年収150万~350万・個人事業主
休職について
休職の理由
転職した会社が、朝9時から夜21時まで11時間の勤務が当然で、遅い日は終電で帰るような生活でした。忙しすぎて社員も余裕がなくピリピリとした雰囲気で、ちょっとした質問をするのにも気を遣いました。
そんな生活を続けていると、徐々にお腹が痛くなったり、夜寝られなくなったり、体調不良が気になるようになりました。実家から来てくれた母に心療内科の受診を勧められ、そこで適応障害と診断されて休職することになりました。
母からは、「顔色が悪いし目つきが変だった。あのまま働き続けていたら取り返しがつかなくなっていたと思う」と言われます。
休職期間
会社が定めていた最長期間である半年です。
最初は2~3カ月休んで戻りたいと思っていましたが、復職しようとすると体調が悪化し、休職期間の満了によって退職しました。
休職後の変化
休職を始めて2週間後には、困っていた腹痛と睡眠不足がほぼなくなりました。
ご飯がすごくおいしく感じて、たくさん食べました。休職前に減っていた体重が、一気に戻りました。
自分は適応障害と診断されており、この病気はストレスの原因から遠ざかると症状が治まりやすいそうです。うつ病など重症化すると、治るのにもっと時間がかかるそうです。
休職中の過ごし方
休職直後は、一日中横になってぼーっとネットを見て過ごしていました。ツイッターで同じ状況の人と話したり、日常ブログを書いたりしていました。
気力が回復してからは、大好きなゲームをやっていました。ドラクエシリーズを全てクリアし、ポケモンの厳選に励みました。ファイナルファンタジーもよかったです。
あとは転職サイトを見たり、フリーランスの方の動画を見たりしていました。
伝えたいメッセージ
キャリアチェンジのポイント
僕のキャリアチェンジの恐怖は、無知から来ていました。
調べて情報を得たことで、安心してチャレンジができたと思います。
父も姉も大学の同級生も、当然のように正社員として働いていたので、フリーランスになるには勇気がいりました。
不安を消すために自己分析の本を読み、動画サイトを見て、ようやくこれは自分に合った選択なんだと自信を持てる日が来ました。
知識がないために「フリーランスは怖い」と思っていた部分もあるので、1カ月生活するのに必要な金額を計算して、これだけ稼げたら大丈夫という指標を決めました。
僕の場合は、月に15万あれば生活できる計算だったので、1万円の契約を5件と5万円の契約を2件取れれば生活はできるな、と具体的なイメージをしました。
値段に合った商品と販促ツールを考えて実際に行動することで、不安が消えました。
休職中の方へメッセージ
これは当時の自分にも言いたいのですが、「社会の常識に囚われて辛い思いをしないでください」です。
正社員として週5勤務して当然、辛い仕事でも投げ出すのは無責任、社会人になって親を頼るのは恥ずかしい、そんな世間常識に苦しまないでほしいです。
十人十色、色々な人生があっていいと思います。
周りからすれば僕は、せっかく大学院を卒業したのに不安定なフリーランスになって勿体ない、と思われるかもしれません。
しかし、独立3年目、後悔はありません。
フリーランスでも大変なことはありますが、サラリーマン時代に苦んだ満員電車も、窮屈な定時勤務もなく、自分のやりたいことに打ち込むことができて、心から幸せを感じる日々です。
大事なのは社会常識よりも、自分がどう生きたいかだと思います。
一度立ち止まって、人生について真剣に考える休職期間は、今となっては大切な時間でした。
今は辛いかもしれませんが、幸せでたまらない日々を送れるよう、勇気を出して行動してみてほしいです。
記事を読んでくださったあなたの幸せを願っています。
社会へのメッセージ
正社員として週5日勤務するのが当たり前ではなく、個々人が自分に合った働き方ができる社会になりますように。
※記事中の画像はイメージです。Tさんとの関連はありません。